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zoom RSS 国鉄興浜線

<<   作成日時 : 2010/08/21 23:14   >>

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 興浜線といっても、興浜南線(興部〜雄武)、興浜北線(北見枝幸〜浜頓別)しか開業できず、興浜南線、興浜北線ともに1985年7月に廃止され、途中の雄武〜北見枝幸は路盤はかなりできていたそうですが結局開業に至らず、興浜線構想は幻に終わりました。

 まず、興浜南線の起点興部は、道の駅おこっぺになってしまい、面影はありません。(名寄本線(紋別〜興部)に写真を載せてます)
 興部の次の駅「沢木」駅跡は公園になっており、駅名板が残っていました。
 (2010.8.8撮影)
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 公園自体があまり管理されておらず、草ボーボーで駅名板に近づくのは困難でした。春先や秋なら余裕なんでしょうが。

 終点雄武駅跡は、例によって「道の駅おうむ」になってました。
 ちなみに地名は「おうむ」ですが、国鉄の駅名は「おむ」でした。アイヌ語では「オ・ム」だそうですから、そちらに合わせたんでしょうか(あんまり関係なさそうですが)。
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 道の駅のホールには、興浜南線のメモリアル写真のコーナーがありました。なぜか渚滑線のコーナーや紋別行きのサボまでありました。
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 また、戦中の頃の雄武の町の様子が描かれたイラストマップ(描かれたのは雄武町出身の佐藤元治郎さんという方だそうです)があり、その詳細度には舌を巻きました。素晴らしすぎます。
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 ちゃんと興浜北線も描かれてますね。
 そして、左上に「金がとれる北隆鉱山とのトロッコ線」という気になるイラストもあります。北隆鉱山は1927年〜1943年の約15年間採掘された金山だそうで、イラストの通り、鉱山から雄武の町はずれまでトロッコで金を運んでいたそうです。
 当時のトロッコの写真もありました。
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 坑口の写真(トロッコ付き)もあり、なかなか見応えがありました。
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 雄武町には記録上、殖民軌道雄武線があり、1950年着工、1956年廃止ということになっていますが、実際は未成線で、運行した実績はありません。ルートとしては、北隆鉱山のトロッコ軌道の跡を利用しようとしたもののようです。時間がなくて今回は調べられませんでしたが、北隆鉱山跡にもぜひ行ってみたいところです。
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 雄武から北見枝幸までは未成線区間ですが、工事はかなり進んでいて、以前は橋梁跡などか見られたんですが、今ではほとんど撤去され、路盤も原野に返ってしまっているようです。
 でもって、興浜北線の終点、北見枝幸駅跡です。公園になってます。
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 右手の奥に見える食堂は、国鉄線当時の駅前食堂でまだ健在のようです。

 北見枝幸駅跡の向かいには代行バスのターミナルがあります。
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 北見枝幸につながるもうひとつの未成線、美幸線(北見枝幸〜歌登〜仁宇布〜美深、仁宇布〜美深は開業)の起点でもありました。
 興浜線の代行の浜頓別行きや雄武行きのバスと一緒に、美幸線の名残の歌登行きのバスもあります。
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 北見枝幸から、興浜北線跡に沿って北上すると、斜内駅跡が残ってました。地元の方に払い下げられたのでしょうか。
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 ようやく興浜線の終点浜頓別です。興浜北線と天北線(1989.4廃止)のターミナル駅ですが、今はバスターミナルになっていて面影はありません。
 が、例によって待合所に興浜北線や天北線の思い出の写真が飾ってありました。
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 興浜北線の撮影名所「斜内山道」です。興浜北線は、神威岬をトンネルを通らず、斜内山道につきあってぐるりと回って通っており、格好のSL写真の名所たっだそうです。
 ちなみに当日の斜内山道は下の写真のとおり、そこだけ雲がかかるという謎の現象を起こしてました。気温と海の水温の関係なんでしょうか。
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 天北線のさよなら列車の写真もありました。


歌登町営軌道
国鉄美幸線

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