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zoom RSS 東藻琴村営軌道

<<   作成日時 : 2015/10/23 21:19   >>

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 東藻琴村営軌道は、1935(昭10)年10月、藻琴〜東藻琴開通。
 1938年5月に東藻琴〜山園が開通し、藻琴線が全通。
 1949年12月に東洋沢支線(福山〜東洋沢)開通。
 1961年10月、藻琴〜東藻琴が廃止。
 1962年8月、東洋沢支線廃止。
 1965年9月、東藻琴〜山園が廃止で全線廃止。
 ということで、全線で32.9kmのなかなかの規模の殖民軌道だったようです。
 (2015.9.21撮影)

 では早速、起点の藻琴駅から。
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 藻琴駅前から出ていた軌道の名残というわけではないでしょうが・・・。
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 藻琴駅は素晴らしい雰囲気の駅で、この駅だけでもついつい満足してしまいます。
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 映画「網走番外地」では、最果ての雰囲気を出すため、網走駅として使われたそうです。撮影は公開の1965年より少し前と思われますが、その頃は既に藻琴駅前に軌道はありませんでした。(映画で確認しましたが、もちろんありませんでした。)
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 お次は、東藻琴停留場の跡地へ。大空町東藻琴総合支所(かつての東藻琴村役場。2006年3月に女満別町と合併)の東隣にあったようです。簡易軌道歴史館さまのHPに掲載されている写真を見ると、かなりの規模の停留場だったようですね。
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 お次は、藻琴線終点の山園停留場の跡地へ。東藻琴村史の写真を見る限りでは、おそらく道道102号に沿って併用軌道になっていたと思われますので、終点は道道995号との分岐点の手前の青いビニールが被っている標識のあたりでしょうか。
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 山園から東藻琴側を望む。この歩道のあたりが停留場跡かなと思うんですが・・・。
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 山園停留場のすぐ南には山園小学校の跡がありました。1935年5月に上藻琴尋常小学校山麓特別教授場として開校し、2005年3月閉校とのこと。
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 では、東洋沢支線の方へ。東藻琴と山園の間の福山という停留場が東洋沢支線の分岐点だったようですが、今では一面畑になっていて痕跡らしきものはありませんでした。(この軌道全般に言えることですが・・・)
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 終点の東洋沢の少し手前に軌道跡を利用した林道の入口がありましたが、もう使われていないようでした。
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 終点の東洋沢の停留場に到着。おそらく「村道172号」の標識(東藻琴村時代の名残で村道表記になっていて字も消えかかってますが)の手前あたりが停留場の跡地だと思われます。
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 東洋沢停留場のすぐ南側には、1949年12月に東洋沢支線が開通した際に開通式を行ったという東洋小学校(1951年10月開校、1972年3月閉校)の跡がありました。体育館は健在ですが、校舎の方は屋根が朽ちてきているようです。
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 東藻琴村史によると、東洋沢支線の開通式が東洋小学校で行われたのは昭和24年12月18日と記載されてますが、同じ村史の教育関係の章では、東洋小学校は昭和24年4月に期成会が発足し、開校は昭和26年10月10日となっており、時期が合わないので、うーん・・・、となってます・・・。

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